◇10月21日20:05~20:40 T先生と電話でやり取りした。
(I):Y先生からの連絡が遅れたことお詫びします。
(T):今年5月頃にY先生に条件(宿題)を2つ出していた。それがクリアー出来れば山口へ行きますと言ってあった。
1つは「マツタケが1本でもいいから生えている山を見つける」こと。
2つ目は「そこにあるアカマツの勢いを計測する」こと。
勢いを計測する方法はY先生にその時教えた。
アカマツに穴を開けてその穴が松脂(まつやに)ですぐに塞がれば勢いがある証明になる。
この2つの宿題はどうなっているかを聴いたところ、いずれもクリヤーしていないといわれた。その条件を満たさないところにいくら行って説明や指導してもマツタケは生えてこないから行っても無駄になる。
(I)今まで長い間放置していて荒れ放題の山に、いくら良いアカマツがあっても、マツタケは生えてこないのではないか。だから生えそうな山を見つけてそこを整備すれば年月はかかるかもわからないが生えてくるのではないか。今整備しようとしている山をどのように整備すれば生えてくるかの指導をいただこうと考えていた。今整備しようとしているところが生える見込みがなければ、他に2,3か所の山を見ていただこうと計画していた。
(T)山を見てここは生えそうだといえる人は、いくら専門家といえどもどこにもいない。1本でも生えていればそこには「シロ」があるから、そこをどうすれば、もっと生えてくるかは指導できる。1本も生えていないところをいくら整備しても、そんなに簡単にはマツタケは生えてこない。いままでたくさんの人がマツタケの再生に取り組んできているが生えてきたといってもせいぜい1本とか2本でそこをマツタケ山に再生した人は極めて稀だ。それも10年20年というスパンでたどりついている。
(I)我々は荒れている山(里山)を整備し、古(いにしえ)のような生き生きした美しい山を取り戻すことを究極の目的としている。その過程で古のようにマツタケが生えてくればという欲張ったことを考えている。何もわくわくするもの(マツタケ)がなければただ里山を守る、きれいにするといったきれいごとをいっても誰も協賛者は出てこないと思う。
(T)マツタケ山をつくることと、里山を整備することは全く別物だ。昔は生活していく上で里山を整備することを抜きには生きていけなかった。風呂をたくにも、ご飯をつくるにも薪や焚き木は必須のものだったから常に里山は整備されていた。だからマツタケが生えてくる環境は常にあった。現在は山の木々を使わない生活になっているから常にマツタケが生えてくる環境を維持することは難しい、不可能といってよい。
(I)我々はマツタケ山を再生してマツタケ山をつくることを狙っているが、最初からそれが実現できるとは考えていない。ある特定なところに場所を絞ってそこで1本でもマツタケが生えてくれば、それが発火点になって整備する場所を広げていき、徳地全域から「ここでもマツタケが生えてきた」の声が広がっっていくことを夢見ている。だから最初にまずマツタケがはえそうな場所で、そこを整備して、例え何年かかろうともマツタケが1本生えてくることを心の支えにして頑張ろうとしているところです。
(T)パッと行って「ここにはマツタケが生える」と私には判断することはできないし、誰も判断できる人はいないのではないか。
(I)マツタケが1本でもはえているところを見つける努力はしてみたい。見つかった暁に再度先生に来ていただき指導を仰ぎたい。とにかく1本でも生えているところを見つけます。その時はよろしくお願いいたします。
→→→マツタケを1っ本でも見つけるためには、何をすればよいか。
①今、南大門に出荷されている三菜工房を調べ、相談する。
➁他に生えている証拠が把握できる方法を調べる。
→→→マツタケ専門家(下関林業試験場の方)に相談する。
※T先生に電話するに至った経緯
・T先生はY先生が京大で研究されていた当時からのお知り合いで、マツタケ再生で有名な吉村先生と一緒に活動されていた。岐阜県でマツタケ山再生に成功された実績がある。
・昨年我々がマツタケ再生活動を始めたことを、Y先生がT先生に話され、ご指導いただくことをお願いし、快諾された。
・今年5月頃に、そろそろ山口に来ていただいて指導してもらおうとY先生がT先生に電話されたら、“5月何日にはいけるだろう”と言われた。
・5月は田植えとか、こちらの都合もあり、もっと先にお願いしたいといった。
・その際T先生の話によると、それなら
①マツタケが1っ本でもはえているところ
➁アカマツの勢いを計測するという2つをY先生におねがいしたと。
・助成金も出たので、T先生に来てもらうことをお願いしたら、マツタケも1っ本も見つかっていないところに行っても意味がない…を言われ I さんに電話させますということで電話するにいたった。電話は午後8時以降にということをいわれた。
